妻と子と私の生きる道。節約生活!

初めまして、伊藤零一と言います。 自分の趣味や家族について書かせて貰っています。どうぞよろしくお願いします。 メールアドレス:afiyu_ki1983sono1@yahoo.co.jp

妻と子どもと私。 その8

こんにちは、伊藤零一です。

本日もよろしくお願いします。

前回は、妻の回復とともに私も回復していくという、自分がどれだけ妻に対して依存しているのかが分かる文章を書かせて頂きました(笑)

 

麻痺性イレウス(腸閉塞)の後は徐々に回復し、自分で歩けるように(ふらふらですが)なりました…。回復していく妻を見ているだけで、涙が出ました。一時の、「ヤマ」を越えて妻は元気になりました。

 

一緒に赤ちゃんを見に行けるようになりました。でも、妻は赤ちゃんの顔が全く見えません。母乳をあげたりしますが、赤ちゃんの顔は見えず寂しいと言っておりました。

 

そういえば、妻が一度だけ。

 

ものすごく辛い状態の時に、一言弱音を吐いた事がありました。

「死んだ方が楽になれるかな…。」

赤ちゃんと私は置いていくのはどうなんだ?と聞くと「色々な意味で二人ともほっとけないから、死んでも楽になれなそうだわ。」と苦笑。

弱音はたったこれだけでした。

私の妻は強い人で、とても優しい人。それでいて我慢強い人です。

 

そんな人が弱音を吐いたのですから、その時は本当に驚きました。同時に、今の状況が本当に辛いんだな…と、考えさせられました。

 

そう思えば、体は本当に良くなりました。でも、目だけは…。

 

赤ちゃんを産んだのに、自分の子どもが見えない。

泣いている声は聞こえるけど、どんな顔をして泣いているのか?顔は赤いのか?分からない。

歩いていても褐色化した光しか見えないし、前に何があるのか分からないから私にくっついて歩く。

「目の見えない、見えにくい人達の気持ちが、分かる気がする。こんなに大変だし、辛いんだね。」

それでも妻は赤ちゃんのために、生きる決意をしました。

 

私にできる事は何か?考えました。

 

赤ちゃんのために生きることは勿論の事、妻のために何ができるのか…。

 

私ができる事は、妻の目になる事だと気付くのに時間はそうかかりませんでした。妻が行きたい場所、何があるかの確認。歩く時の手を引く役目は私がやるべき事だと思い、妻に

「私が目になれば、きっと生きていけるよね。(妻の名前)は大変だと思うけど、でも、私は支えていけたら良いなって思っているよ。

 

と伝えたら…

「有難う。…良かった子どもを産んで。こんな風になったから、(私の名前)ががっかりしてるんじゃないかと思って…。」

不安であったことを教えてくれました。こうやって話しできるようになって不安や期待や色々な事を話してくれるようになりました。

 

がっかりしたことなんて一度もありませんでした。ある意味で、私は未来を見る事が出来ていたようです。

 

妻は本当に強い人なので、こんな不安を言うとは思いませんでしたが…。支えあって生きていければ良いなと改めて思いました。

 

因みにこの時から一年と5か月ほど経っているのですが、妻は全快とはいかないものの、視力が回復しました。ただ、若干の褐色化があるらしく…そこはもうこのままなのかもしれません。妻はそれでも、子どもの姿が見えるようになって、本当に良かったと話しております。本当に強い人です。

 

本日はこれくらいで。最後までお読みくださいましてありがとうございましたm(__)m